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『ガンダム』初放映は「途中打ち切り」だった…常識を覆した創造者たち [芸能^^]

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日本アニメに変革をもたらした「機動戦士ガンダム」が昭和54年にテレビ放送され、今年35周年を迎えた。

 今なお衰えない人気の秘密を探ろうと、総監督の富野由悠季さん(72)、キャラクターデザイナーの安彦良和さん(66)、メカニックデザイナーの大河原邦男さん(66)ら“ガンダム生みの親”の創作の原点に迫る漫画『「ガンダム」を創った男たち。』(KADOKAWA)が刊行された。漫画家、大和田秀樹さん(44)が漫画で綴る壮絶なエピソードとともに、記者が3人や声優たちから取材で聞いた創作秘話を4回シリーズで紹介する。第1回に登場するのは富野総監督。(戸津井康之)

 ■ハリウッド映画に?

 今年1月、35周年を飾るにふさわしいビッグニュースが発表された。富野さんが、ハリウッド大作「アバター」などを手掛けた米特撮スタジオ「レガシー・エフェクツ」と組んで新作を製作すると記者会見で公表したのだ。

 作品名こそ明かされなかったが、「ガンダムでは?」の憶測も飛び交い、アニメファンだけでなく映像関係者らも大きな関心を寄せている。ガンダムの名は日本アニメの枠を超え、世界を魅了し続けている事実を改めて証明した。

 ガンダム以前、アニメ番組のスポンサーの多くが玩具メーカーで「アニメは玩具のCM」という状況にアニメ製作者は甘んじていた。そんな時代に富野さんは「世界に通用するアニメでこの常識を変えよう」と挑む。

 ■玩具売れれば「低視聴率には目を瞑る」

 そこで富野さんは、「宇宙戦艦ヤマト」などの絵コンテを手掛けた気鋭の安彦さんをキャラクターデザイナーに、「科学忍者隊ガッチャマン」の敵メカをデザインした大河原さんをメカニックデザイナーに指名する。

 「10年先を行くアニメで大人も夢中にさせる」。富野さんの掲げた目標に安彦さん、大河原さんは共鳴、“3つの才能”が結集し伝説のアニメは生まれた。当時3人は30代。その後、富野さんは作家としても活躍、安彦さんは漫画家に、大河原さんはメカニックデザイナーという職業を確立、それぞれ現役の第一線で活躍している。

 後に再放送が繰り返されるガンダムだが、実は初めて放送された54年には低視聴率のため、放送打ち切りになっている。何とか打ち切りという最悪の状況を打開しようと悪戦苦闘する富野さんらの葛藤も漫画の中で赤裸々に描かれる。

 スポンサーから「玩具が売れれば、視聴率には目をつむる」という了解を得て、富野さんは当初の脚本を大幅に変更、途中から新しい登場メカを次から次へと投入し、テコ入れをはかるのだ。後に安彦さん、大河原さんに取材した際、2人は「富野さんの厳しい要求には振り回されましたよ」と苦笑していた。

 ■映画会社を慌てさせた

 「10年先を行く」。この信念が放送打ち切り後に現実化し始める。アニメ雑誌で、ガンダムの特集が組まれたり、中高生以上に支持層が広がり、再放送を求める嘆願書が殺到、全国で人気に火が付き、映画化の話も浮上する。

 ここで富野さんはさらに“大博打”に打って出る。映画会社の承諾無しに「映画は3部作で製作する」と会見の場で発表したのだ。

 まだ、3部作の公開が決まらない段階で、安彦さんが続編の絵コンテを描き始めていた事実なども明かされる。まんが祭りなどの子供向け以外のアニメ映画が、まだ認知されていない時代、富野さんの無謀ともいえる行動に、当然のように映画会社はあわてる。

 しかし、この予想を裏切り、映画『機動戦士ガンダム』は56年春に公開され大ヒット。その年の夏には『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」、翌年春には『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙(そら)編』と、富野さんの画策通り3部作の公開を成し遂げ、テレビ局やスポンサーだけでなく、映画界にも深く根付いていた「しょせんアニメは子供向け」という常識を覆したのだ。

 ■漫画化の依頼に“頭突き”で応える

 大和田さんがガンダムを初めて見たのは小学3年生のとき。「これまで見てきたアニメとはまったく違う。凄い衝撃でした」。東北大工学部に進学しながらも中退、漫画家の道を選んだのは、やはりガンダムの影響が大きいという。

 「ガンダム創作秘話を漫画化したい」という大和田さんの夢は実現不可能ともいわれてきた。なぜなら、ガンダム産みの親といえる富野さんたち3人は、アニメ界の枠を超えて神格化され、もはや伝説といえる人物となっていた。出版界にとってもこの状況は同じで、大和田さんの漫画化の構想は、準備を終えた段階から1年以上ストップしたままだった。

 「このままではボツになってしまう。幻のまま終わらせたくない」。そんなあせりの一心から、大和田さんが富野さんに直談判する場面も漫画で描かれる。

 出版社の新年会に現れた富野さんを見つけた大和田さんは、編集者たちの制止を振り切り、直接交渉に訴えるのだ。

 「私に描かせてください」。緊張しながら切り出す大和田さん。すると、突然、富野さんは自分の頭を大和田さんの頭にぶつけ、頭突きをした後、「好きなようにやりなさい」と叱咤激励したという。

 富野さんならではの独特の愛情表現に大和田さんは改めてこう心に誓った。「3人の妥協無き創作への情熱を伝えることは漫画家としての私の使命だ」と。





http://news.livedoor.com/article/detail/8645111/
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